2007年08月22日

ミヤマクワガター!!

つかまえましたっ!! \(^o^)/

たまたま見つけちゃったのを除いて、クワ・カブ探しに森に行ってまともに見つけたのははじめてだな〜。

嬉しぃーー♪

朝7時台、息子の幼稚園の近くの森にあるクヌギの木に樹液を求めてきてました。なかなかの大きさで、しかもむちゃくちゃ元気いい ^o^

もう八月も終わりだし、今年はもうクワガタにはお目にかかれないかなぁ、と思ってたので、「ミヤマ様」にお会いできるとは思ってませんでした…^^

 

って、35歳の大人が書く日記かよ…って感じですな(笑)。 アタマの中が6才の息子と何も変わらない(驚)

あ、ちなみに、いちおうカタチとしては、
@息子が「クワ採りに行こう」とせがみ、
A「しょうがないなぁ」という顔をしてボクが軽トラを飛ばす、

となっています。あくまでも(笑)

 

 

姿を拝みたい方はうちの息子まで(彼が飼い主でした…: 笑)

posted by シュミーデひとつや at 22:41| Comment(500) | 親ばか&プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミヤマクワガター!!

つかまえましたっ!! \(^o^)/

たまたま見つけちゃったのを除いて、クワ・カブ探しに森に行ってまともに見つけたのははじめてだな〜。

嬉しぃーー♪

朝7時台、息子の幼稚園の近くの森にあるクヌギの木に樹液を求めてきてました。なかなかの大きさで、しかもむちゃくちゃ元気いい ^o^

もう八月も終わりだし、今年はもうクワガタにはお目にかかれないかなぁ、と思ってたので、「ミヤマ様」にお会いできるとは思ってませんでした…^^

 

って、35歳の大人が書く日記かよ…って感じですな(笑)。 アタマの中が6才の息子と何も変わらない(驚)

あ、ちなみに、いちおうカタチとしては、
@息子が「クワ採りに行こう」とせがみ、
A「しょうがないなぁ」という顔をしてボクが軽トラを飛ばす、

となっています。あくまでも(笑)

 

 

姿を拝みたい方はうちの息子まで(彼が飼い主でした…: 笑)

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ミヤマクワガター!!

つかまえましたっ!! \(^o^)/

たまたま見つけちゃったのを除いて、クワ・カブ探しに森に行ってまともに見つけたのははじめてだな〜。

嬉しぃーー♪

朝7時台、息子の幼稚園の近くの森にあるクヌギの木に樹液を求めてきてました。なかなかの大きさで、しかもむちゃくちゃ元気いい ^o^

もう八月も終わりだし、今年はもうクワガタにはお目にかかれないかなぁ、と思ってたので、「ミヤマ様」にお会いできるとは思ってませんでした…^^

 

って、35歳の大人が書く日記かよ…って感じですな(笑)。 アタマの中が6才の息子と何も変わらない(驚)

あ、ちなみに、いちおうカタチとしては、
@息子が「クワ採りに行こう」とせがみ、
A「しょうがないなぁ」という顔をしてボクが軽トラを飛ばす、

となっています。あくまでも(笑)

 

 

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ミヤマクワガター!!

つかまえましたっ!! \(^o^)/

たまたま見つけちゃったのを除いて、クワ・カブ探しに森に行ってまともに見つけたのははじめてだな〜。

嬉しぃーー♪

朝7時台、息子の幼稚園の近くの森にあるクヌギの木に樹液を求めてきてました。なかなかの大きさで、しかもむちゃくちゃ元気いい ^o^

もう八月も終わりだし、今年はもうクワガタにはお目にかかれないかなぁ、と思ってたので、「ミヤマ様」にお会いできるとは思ってませんでした…^^

 

って、35歳の大人が書く日記かよ…って感じですな(笑)。 アタマの中が6才の息子と何も変わらない(驚)

あ、ちなみに、いちおうカタチとしては、
@息子が「クワ採りに行こう」とせがみ、
A「しょうがないなぁ」という顔をしてボクが軽トラを飛ばす、

となっています。あくまでも(笑)

 

 

姿を拝みたい方はうちの息子まで(彼が飼い主でした…: 笑)

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2007年07月19日

グリーンヒルズ見学 の続き

きのうの続き。 

昨日は、グリーンヒルズ小学校の紹介と、僕の「日本の教育に対する考え」を書いたところで終わりました。

今日は…書くことを考えながらこの日記の下書きを書いていたら、結局、自分の考えを整理することができました。ふふん ^^。 良かったです♪

 

学校を選ぶということの意味。子育てにおける学校と家庭の意義。

 

いまそんなことを考えました。ははは〜♪ そうか…という気づきがありました。

それをシェアします。

 

どんな困ったような公立の学校に行っても、どんな「困った先生」についてしまっても
多くのことを学べ、ポジティブに、パワフルに生きていける子供もいるし

どんな立派な理念の私立の学校に行っても、「いい先生」に恵まれても
ネガティブで殻に閉じこもり、その潜在能力を開けない子供もいる

「どんな学校に行っても親がしっかりしていれば、まともに育つし、夢を見つけて立派に巣立っていく子供になる」
いまのうちがお世話になっている幼稚園の園長先生にはそういわれます

 

なるほど、毎日生活をしていくなか しつけたり、親の生き方や考え方を通して、「人間」を作るのはあくまで家庭、 親なのだ

学校は、こどもの可能性を「引き出す」(educateの本来の意味)のが仕事。「人間」を作るのではない。こどもの可能性をどういうふうに引き出すのか。何を付加価値としてあたえてくれるのか。知識、感性、世界の見方、世界とのかかわり方。 それが、学校の仕事

 

…だから、学校を選んでやりたい親は、「学校」を通して子供に何を与えたいのか。どんな付加価値を与えてやりたいのか。 それを良く考える必要がある、というわけです。

 

こういう「切り口」に考え至ったのは、グリーンヒルズの校長先生に聞いた、オランダの学校事情(詳しくはこちらへ)についての話を聞いてのことです。

 

《オランダでは、80年前から公立校と私立校の教育費はほとんど差がなくされたそうです。多民族、多様な価値観の人が共存する移民国オランダでは、あらゆる人が公平に教育を受けられるよう、さまざまな工夫が重ねられてきたようです。人口が少ないところでも、公立、私立(宗教各派などの)の学校が選べるようにもなっているそうです。

その結果、親には学校を選ぶ自由が保障されています。校区制がないので、公立の学校さえも選択肢が複数ある場合が多いようです。》 

 

ということで… どうする!?我が家の息子(笑)。

もうちょっと良く考えて見ます。

 

 

あ…学校の様子ですね。(笑) ご想像にお任せします ( ̄Д ̄;) ソンナー

見学してきたのに、その様子は想像に任せるなんてー ^^;

 

関心のある人は、ご連絡ください。または、通わせている親御さんに直接きいてみてくださいね♪

 

 

 

posted by シュミーデひとつや at 00:26| Comment(500) | 親ばか&プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グリーンヒルズ見学 の続き

きのうの続き。 

昨日は、グリーンヒルズ小学校の紹介と、僕の「日本の教育に対する考え」を書いたところで終わりました。

今日は…書くことを考えながらこの日記の下書きを書いていたら、結局、自分の考えを整理することができました。ふふん ^^。 良かったです♪

 

学校を選ぶということの意味。子育てにおける学校と家庭の意義。

 

いまそんなことを考えました。ははは〜♪ そうか…という気づきがありました。

それをシェアします。

 

どんな困ったような公立の学校に行っても、どんな「困った先生」についてしまっても
多くのことを学べ、ポジティブに、パワフルに生きていける子供もいるし

どんな立派な理念の私立の学校に行っても、「いい先生」に恵まれても
ネガティブで殻に閉じこもり、その潜在能力を開けない子供もいる

「どんな学校に行っても親がしっかりしていれば、まともに育つし、夢を見つけて立派に巣立っていく子供になる」
いまのうちがお世話になっている幼稚園の園長先生にはそういわれます

 

なるほど、毎日生活をしていくなか しつけたり、親の生き方や考え方を通して、「人間」を作るのはあくまで家庭、 親なのだ

学校は、こどもの可能性を「引き出す」(educateの本来の意味)のが仕事。「人間」を作るのではない。こどもの可能性をどういうふうに引き出すのか。何を付加価値としてあたえてくれるのか。知識、感性、世界の見方、世界とのかかわり方。 それが、学校の仕事

 

…だから、学校を選んでやりたい親は、「学校」を通して子供に何を与えたいのか。どんな付加価値を与えてやりたいのか。 それを良く考える必要がある、というわけです。

 

こういう「切り口」に考え至ったのは、グリーンヒルズの校長先生に聞いた、オランダの学校事情(詳しくはこちらへ)についての話を聞いてのことです。

 

《オランダでは、80年前から公立校と私立校の教育費はほとんど差がなくされたそうです。多民族、多様な価値観の人が共存する移民国オランダでは、あらゆる人が公平に教育を受けられるよう、さまざまな工夫が重ねられてきたようです。人口が少ないところでも、公立、私立(宗教各派などの)の学校が選べるようにもなっているそうです。

その結果、親には学校を選ぶ自由が保障されています。校区制がないので、公立の学校さえも選択肢が複数ある場合が多いようです。》 

 

ということで… どうする!?我が家の息子(笑)。

もうちょっと良く考えて見ます。

 

 

あ…学校の様子ですね。(笑) ご想像にお任せします ( ̄Д ̄;) ソンナー

見学してきたのに、その様子は想像に任せるなんてー ^^;

 

関心のある人は、ご連絡ください。または、通わせている親御さんに直接きいてみてくださいね♪

 

 

 

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グリーンヒルズ見学 の続き

きのうの続き。 

昨日は、グリーンヒルズ小学校の紹介と、僕の「日本の教育に対する考え」を書いたところで終わりました。

今日は…書くことを考えながらこの日記の下書きを書いていたら、結局、自分の考えを整理することができました。ふふん ^^。 良かったです♪

 

学校を選ぶということの意味。子育てにおける学校と家庭の意義。

 

いまそんなことを考えました。ははは〜♪ そうか…という気づきがありました。

それをシェアします。

 

どんな困ったような公立の学校に行っても、どんな「困った先生」についてしまっても
多くのことを学べ、ポジティブに、パワフルに生きていける子供もいるし

どんな立派な理念の私立の学校に行っても、「いい先生」に恵まれても
ネガティブで殻に閉じこもり、その潜在能力を開けない子供もいる

「どんな学校に行っても親がしっかりしていれば、まともに育つし、夢を見つけて立派に巣立っていく子供になる」
いまのうちがお世話になっている幼稚園の園長先生にはそういわれます

 

なるほど、毎日生活をしていくなか しつけたり、親の生き方や考え方を通して、「人間」を作るのはあくまで家庭、 親なのだ

学校は、こどもの可能性を「引き出す」(educateの本来の意味)のが仕事。「人間」を作るのではない。こどもの可能性をどういうふうに引き出すのか。何を付加価値としてあたえてくれるのか。知識、感性、世界の見方、世界とのかかわり方。 それが、学校の仕事

 

…だから、学校を選んでやりたい親は、「学校」を通して子供に何を与えたいのか。どんな付加価値を与えてやりたいのか。 それを良く考える必要がある、というわけです。

 

こういう「切り口」に考え至ったのは、グリーンヒルズの校長先生に聞いた、オランダの学校事情(詳しくはこちらへ)についての話を聞いてのことです。

 

《オランダでは、80年前から公立校と私立校の教育費はほとんど差がなくされたそうです。多民族、多様な価値観の人が共存する移民国オランダでは、あらゆる人が公平に教育を受けられるよう、さまざまな工夫が重ねられてきたようです。人口が少ないところでも、公立、私立(宗教各派などの)の学校が選べるようにもなっているそうです。

その結果、親には学校を選ぶ自由が保障されています。校区制がないので、公立の学校さえも選択肢が複数ある場合が多いようです。》 

 

ということで… どうする!?我が家の息子(笑)。

もうちょっと良く考えて見ます。

 

 

あ…学校の様子ですね。(笑) ご想像にお任せします ( ̄Д ̄;) ソンナー

見学してきたのに、その様子は想像に任せるなんてー ^^;

 

関心のある人は、ご連絡ください。または、通わせている親御さんに直接きいてみてくださいね♪

 

 

 

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グリーンヒルズ見学 の続き

きのうの続き。 

昨日は、グリーンヒルズ小学校の紹介と、僕の「日本の教育に対する考え」を書いたところで終わりました。

今日は…書くことを考えながらこの日記の下書きを書いていたら、結局、自分の考えを整理することができました。ふふん ^^。 良かったです♪

 

学校を選ぶということの意味。子育てにおける学校と家庭の意義。

 

いまそんなことを考えました。ははは〜♪ そうか…という気づきがありました。

それをシェアします。

 

どんな困ったような公立の学校に行っても、どんな「困った先生」についてしまっても
多くのことを学べ、ポジティブに、パワフルに生きていける子供もいるし

どんな立派な理念の私立の学校に行っても、「いい先生」に恵まれても
ネガティブで殻に閉じこもり、その潜在能力を開けない子供もいる

「どんな学校に行っても親がしっかりしていれば、まともに育つし、夢を見つけて立派に巣立っていく子供になる」
いまのうちがお世話になっている幼稚園の園長先生にはそういわれます

 

なるほど、毎日生活をしていくなか しつけたり、親の生き方や考え方を通して、「人間」を作るのはあくまで家庭、 親なのだ

学校は、こどもの可能性を「引き出す」(educateの本来の意味)のが仕事。「人間」を作るのではない。こどもの可能性をどういうふうに引き出すのか。何を付加価値としてあたえてくれるのか。知識、感性、世界の見方、世界とのかかわり方。 それが、学校の仕事

 

…だから、学校を選んでやりたい親は、「学校」を通して子供に何を与えたいのか。どんな付加価値を与えてやりたいのか。 それを良く考える必要がある、というわけです。

 

こういう「切り口」に考え至ったのは、グリーンヒルズの校長先生に聞いた、オランダの学校事情(詳しくはこちらへ)についての話を聞いてのことです。

 

《オランダでは、80年前から公立校と私立校の教育費はほとんど差がなくされたそうです。多民族、多様な価値観の人が共存する移民国オランダでは、あらゆる人が公平に教育を受けられるよう、さまざまな工夫が重ねられてきたようです。人口が少ないところでも、公立、私立(宗教各派などの)の学校が選べるようにもなっているそうです。

その結果、親には学校を選ぶ自由が保障されています。校区制がないので、公立の学校さえも選択肢が複数ある場合が多いようです。》 

 

ということで… どうする!?我が家の息子(笑)。

もうちょっと良く考えて見ます。

 

 

あ…学校の様子ですね。(笑) ご想像にお任せします ( ̄Д ̄;) ソンナー

見学してきたのに、その様子は想像に任せるなんてー ^^;

 

関心のある人は、ご連絡ください。または、通わせている親御さんに直接きいてみてくださいね♪

 

 

 

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グリーンヒルズ小学校 見学しました

息子も現在年長さん。いよいよというか、もうというか(!)、小学校に入ることを考える時が来てしまいました…orz

今日、車で30分くらいのところ、飯綱高原にある「グリーンヒルズ小学校」、見学に行ってきました。

アメリカの「サドベリー・バレー校」や和歌山県「きのくにこどもの村学園」をモデルにした、こどもの自由と自己責任を基礎にした学校です。「サドベリー・バレー校」は、学校改革の世界的なモデルとも言われ、学校というものの、ひとつの究極の姿だと思います。詳しくは、とってもいいレポートをどうぞ→こちら

 

規制に固められた日本の教育界で、サドベリーをモデルにした最初の学校が「きのくに」で、それに続く学校の一つが、この「グリーンヒルズ」です。我が家から程近い飯綱高原にあるのはひょっとしたら幸運なことかもしれない、今日の見学ではそんなふうに思わされました。

写真は一枚も撮りませんでしたが、半日たっぷり、子供達が学ぶ様子を周りから眺めたり、校長先生とお話したりして、噂に聞いていた学校がどんなものかを、とっくりと見聞きしてきました。

 

●ちょっと長いけど、ぼくの教育についての考え。読みたい人だけどうぞ ^^;●

ぼく自身のいままでの半生で、自分がやりたいと思うことを見出して実践するまで、いやというほど内面的に苦労してきました(こう見えて 笑)。 今の仕事を始めるまでのすべての時間はこの苦労だったといってもいいと思います。というか、今もそうかもしれません…(笑)



この原因について、ある時期、ずっと考えていました。原因は、少なからず、僕の能力や性格などの個性にもあるのでしょう。ただ、それだけでもないのです。僕が思うには、ある面、自分が受けてきた教育のせいもあると思わざるをえません。
やっぱり、そのひとが受ける教育は、その人の生き方、考え方を大きく左右すると思います。いまの日本の教育は、いまの日本人を、よきにつけ悪しきにつけ形づくっています。


いままでの日本の教育について、僕はこう思います。
『人間が生きていくのに一番重要な力になるのは、「生きる意欲」だ。なのに、それに直結する、「やりたいこと」を見つけることには、重きを置いていない。
そうではなく、「得意なこと」すなわち「社会に役に立つこと」を見つけることにしか比重を置いていない。』

僕たちは、「自分の得意なことを、のばせのばせ〜!」という競争をさせられていたように思えてしまいます。 それは「社会のためになる」ための競争です。そして、それが「自分のためにもなるよ〜」とも思わされていました。間違いではないのですが。

そして、「その競争に勝つためには学校や先生の言うのがまちがいない」すなわち、通信簿を良くすることです。5教科はもちろん、図工・美術・体育・道徳までも。

 

「通信簿を良くしたくて学校生活を送った気はまったくない」とか、「大人になってしまえば、子供のときの通信簿なんて関係ない」。そう思えば思えないこともない。

でも、今思い返してみて
「自分がやりたいこと・夢を見つけて、それができるようになる」ための学校だったのか?
それとも
「何かほかのもの・人のために役立つようになる」ための学校だったのか。
う〜ん。

 

もちろん、人間は、社会の中で役立ってはじめて生きている価値があるといえると思います。それが喜びでもあります。

でも、まず自分が「やりたい」こと、「やっていて楽しい」ことをやる。それではじめて、「生きる意欲」がわくのでしょう?
ただただ「社会の役に立つ」ことだけを求めてしまったから、この国は「生きる意欲」がわかない人だらけになってしまったのだと思います。

この病める日本社会の原因の、大きな一つは、「得意なこと」ばかりで「やりたいこと」をさせなかった、競争させる教育だったと思います。

 

●ぼくの教育論ひとまず終わり ^o^●

もう今日は遅いので、見学の続きはまたね。

posted by シュミーデひとつや at 00:25| Comment(500) | 親ばか&プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グリーンヒルズ小学校 見学しました

息子も現在年長さん。いよいよというか、もうというか(!)、小学校に入ることを考える時が来てしまいました…orz

今日、車で30分くらいのところ、飯綱高原にある「グリーンヒルズ小学校」、見学に行ってきました。

アメリカの「サドベリー・バレー校」や和歌山県「きのくにこどもの村学園」をモデルにした、こどもの自由と自己責任を基礎にした学校です。「サドベリー・バレー校」は、学校改革の世界的なモデルとも言われ、学校というものの、ひとつの究極の姿だと思います。詳しくは、とってもいいレポートをどうぞ→こちら

 

規制に固められた日本の教育界で、サドベリーをモデルにした最初の学校が「きのくに」で、それに続く学校の一つが、この「グリーンヒルズ」です。我が家から程近い飯綱高原にあるのはひょっとしたら幸運なことかもしれない、今日の見学ではそんなふうに思わされました。

写真は一枚も撮りませんでしたが、半日たっぷり、子供達が学ぶ様子を周りから眺めたり、校長先生とお話したりして、噂に聞いていた学校がどんなものかを、とっくりと見聞きしてきました。

 

●ちょっと長いけど、ぼくの教育についての考え。読みたい人だけどうぞ ^^;●

ぼく自身のいままでの半生で、自分がやりたいと思うことを見出して実践するまで、いやというほど内面的に苦労してきました(こう見えて 笑)。 今の仕事を始めるまでのすべての時間はこの苦労だったといってもいいと思います。というか、今もそうかもしれません…(笑)



この原因について、ある時期、ずっと考えていました。原因は、少なからず、僕の能力や性格などの個性にもあるのでしょう。ただ、それだけでもないのです。僕が思うには、ある面、自分が受けてきた教育のせいもあると思わざるをえません。
やっぱり、そのひとが受ける教育は、その人の生き方、考え方を大きく左右すると思います。いまの日本の教育は、いまの日本人を、よきにつけ悪しきにつけ形づくっています。


いままでの日本の教育について、僕はこう思います。
『人間が生きていくのに一番重要な力になるのは、「生きる意欲」だ。なのに、それに直結する、「やりたいこと」を見つけることには、重きを置いていない。
そうではなく、「得意なこと」すなわち「社会に役に立つこと」を見つけることにしか比重を置いていない。』

僕たちは、「自分の得意なことを、のばせのばせ〜!」という競争をさせられていたように思えてしまいます。 それは「社会のためになる」ための競争です。そして、それが「自分のためにもなるよ〜」とも思わされていました。間違いではないのですが。

そして、「その競争に勝つためには学校や先生の言うのがまちがいない」すなわち、通信簿を良くすることです。5教科はもちろん、図工・美術・体育・道徳までも。

 

「通信簿を良くしたくて学校生活を送った気はまったくない」とか、「大人になってしまえば、子供のときの通信簿なんて関係ない」。そう思えば思えないこともない。

でも、今思い返してみて
「自分がやりたいこと・夢を見つけて、それができるようになる」ための学校だったのか?
それとも
「何かほかのもの・人のために役立つようになる」ための学校だったのか。
う〜ん。

 

もちろん、人間は、社会の中で役立ってはじめて生きている価値があるといえると思います。それが喜びでもあります。

でも、まず自分が「やりたい」こと、「やっていて楽しい」ことをやる。それではじめて、「生きる意欲」がわくのでしょう?
ただただ「社会の役に立つ」ことだけを求めてしまったから、この国は「生きる意欲」がわかない人だらけになってしまったのだと思います。

この病める日本社会の原因の、大きな一つは、「得意なこと」ばかりで「やりたいこと」をさせなかった、競争させる教育だったと思います。

 

●ぼくの教育論ひとまず終わり ^o^●

もう今日は遅いので、見学の続きはまたね。

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