息子も現在年長さん。いよいよというか、もうというか(!)、小学校に入ることを考える時が来てしまいました…orz
今日、車で30分くらいのところ、飯綱高原にある「グリーンヒルズ小学校」、見学に行ってきました。
アメリカの「サドベリー・バレー校」や和歌山県「きのくにこどもの村学園」をモデルにした、こどもの自由と自己責任を基礎にした学校です。「サドベリー・バレー校」は、学校改革の世界的なモデルとも言われ、学校というものの、ひとつの究極の姿だと思います。詳しくは、とってもいいレポートをどうぞ→こちら
規制に固められた日本の教育界で、サドベリーをモデルにした最初の学校が「きのくに」で、それに続く学校の一つが、この「グリーンヒルズ」です。我が家から程近い飯綱高原にあるのはひょっとしたら幸運なことかもしれない、今日の見学ではそんなふうに思わされました。
写真は一枚も撮りませんでしたが、半日たっぷり、子供達が学ぶ様子を周りから眺めたり、校長先生とお話したりして、噂に聞いていた学校がどんなものかを、とっくりと見聞きしてきました。
●ちょっと長いけど、ぼくの教育についての考え。読みたい人だけどうぞ ^^;●
ぼく自身のいままでの半生で、自分がやりたいと思うことを見出して実践するまで、いやというほど内面的に苦労してきました(こう見えて 笑)。 今の仕事を始めるまでのすべての時間はこの苦労だったといってもいいと思います。というか、今もそうかもしれません…(笑)
この原因について、ある時期、ずっと考えていました。原因は、少なからず、僕の能力や性格などの個性にもあるのでしょう。ただ、それだけでもないのです。僕が思うには、ある面、自分が受けてきた教育のせいもあると思わざるをえません。
やっぱり、そのひとが受ける教育は、その人の生き方、考え方を大きく左右すると思います。いまの日本の教育は、いまの日本人を、よきにつけ悪しきにつけ形づくっています。
いままでの日本の教育について、僕はこう思います。
『人間が生きていくのに一番重要な力になるのは、「生きる意欲」だ。なのに、それに直結する、「やりたいこと」を見つけることには、重きを置いていない。
そうではなく、「得意なこと」すなわち「社会に役に立つこと」を見つけることにしか比重を置いていない。』
僕たちは、「自分の得意なことを、のばせのばせ〜!」という競争をさせられていたように思えてしまいます。 それは「社会のためになる」ための競争です。そして、それが「自分のためにもなるよ〜」とも思わされていました。間違いではないのですが。
そして、「その競争に勝つためには学校や先生の言うのがまちがいない」すなわち、通信簿を良くすることです。5教科はもちろん、図工・美術・体育・道徳までも。
「通信簿を良くしたくて学校生活を送った気はまったくない」とか、「大人になってしまえば、子供のときの通信簿なんて関係ない」。そう思えば思えないこともない。
でも、今思い返してみて
「自分がやりたいこと・夢を見つけて、それができるようになる」ための学校だったのか?
それとも
「何かほかのもの・人のために役立つようになる」ための学校だったのか。
う〜ん。
もちろん、人間は、社会の中で役立ってはじめて生きている価値があるといえると思います。それが喜びでもあります。
でも、まず自分が「やりたい」こと、「やっていて楽しい」ことをやる。それではじめて、「生きる意欲」がわくのでしょう?
ただただ「社会の役に立つ」ことだけを求めてしまったから、この国は「生きる意欲」がわかない人だらけになってしまったのだと思います。
この病める日本社会の原因の、大きな一つは、「得意なこと」ばかりで「やりたいこと」をさせなかった、競争させる教育だったと思います。
●ぼくの教育論ひとまず終わり ^o^●
もう今日は遅いので、見学の続きはまたね。
posted by シュミーデひとつや at 00:25|
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