お隣の土蔵を曳き屋さんが動かした話、覚えてらっしゃいますか?
曳き屋さんが来る前に、土蔵のことで僕がひとつお手伝いをしたんですが、そのこと、てっきりアップしていたと思ったら、まだしてなかったみたいですね…今チェックしたら、見つかりませんでしたので…
その作業とは、「穀箱」の解体作業でした。
穀箱は、名のとおり穀物を保管しておくための箱で、害虫やネズミなどから穀物を守るためのものです。その土蔵の1階部分に、三つありました。
解体前の写真も見つかりましたので、ご覧ください。初めの四枚は穀箱の写真、五枚目は年号部分の拡大です。
その穀箱三つと2階部分に上がるための階段(これも、ものを収納するために箱構造になっている)、これらを解体し、土蔵が動いたあとそれを復旧する、それが今回私に与えられたミッションインポッシブル(笑)。
いや〜、大変でした、なかなか。でもこれ、とっっても面白かったです。
何がって、この四つの箱は、言ってみればそれぞれがちょっとしたたんすのような物です。それが、全部「釘を使わずに組んである」のです!! 板には一応「東・三」とか「い・四」とか書いてあるんですが、それも全部には書いてないところが曲者…結局、マッキーで僕が下手な字で記号をたくさん書き加えてから解体していきました。
加えて、作業を難しくするのは、昔の、しかも大工さん(建具屋さん?)の完全な手づくりなことです。板一枚一枚も今のような規格化された均一なサイズではなく、カットラインも直線とは限りません。またはめ込み具合もムラがあって、半ば力任せに抜いたりはめたりしたところもありました…なっかなかね〜 やった人にしか分からないかもしれないなぁ…^^;
これを解体・復旧するのは、おっきな木工パズルを一度壊してまた組み立てる、みたいな作業でした…
ちなみに、穀箱に書いてある年号は、「文久二年」だそうです…調べたら、「文久」は、明治維新の直前、「慶応」の前の年号でした。
そして、ここからは組立作業の写真です。 組み立てでも解体でも、どっちがどっちでも分からないか…^^;
しかし、この間半年の月日が流れています…
解体するのに一日、復旧するのに一日。長いのか短いのか分かりませんが、とにかく何とかやり遂げました…
ちなみに解体作業の際には、監督、搬出、仕分け作業を、このお家のおじいさんとおばあさんが手伝ってくださいました。 また復旧作業の日には、ご主人と私の二人で骨組みを組み立て、あとの板のはめ込み作業はおうちの方にお任せいたしました。
お疲れ様でした! 古いものを残すというのは、ものすごく努力が要るんですよね〜^^ いい勉強になります。
ちょっともう眠いので、解説不足なのは承知の上で、この辺で失礼トンズラつかまつります…(笑)
訂正: 穀箱製作の元号についてですが、正しくは慶應(1865〜67)の前には「元治」(1864)があり、その前が「文久」(1861〜63)でした。ありまじろうさん、ご指摘ありがとうございました!(12/5記)
要は木箱ですよね。昔の人はこんなものに入れていたのかと思っていたら、作製年次は「文久」ですか。
古すぎです。
あと文久ですが、「文久」と「慶應」の間に「元治」が入っていたかなと...
…ほんとだ!元治が一年間だけありましたね!「調べたら」はちゃんと調べてませんでした…orz
皆さんごめんなさい。
そしてありまさん、ありがとう^^
RPXdkGzo
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